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感染症にめげなかった! 業界草創期

クリーニング業界(洗濯業)が本格的に活気づく一大転機となったのは、明治31(1898)年、東京市において鉄管の近代上下水道施設が完成してからだった。それもそのはず、潤沢な水源あっての洗濯業だった。

東京クリーニング組合沿革史(戦後編)には『近代的鉄管による給水が開始されたことが、組合活動の機運を高める引き金となった』と明記されている。ちなみに国内で最初の近代上水道施設は横浜市である。

実のところ、なぜ近代上下水道施設の普及を急いだのか。理由は東京をはじめ横浜、長崎、神戸など港湾都市は、コレラなど度重なる感染症のまん延に追い込まれていたからだった。

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