最終更新日:

大きな時代の変化の中にあって人はどうすればいいのか 幕末から明治を生き抜いた2人の男

20211201-8-1-1

山本七平著「渋沢栄一近代の創造」

西洋式ビジネスに気付く福沢諭吉と渋沢栄一

もしも――。とんでもなく時代が大きく変わろうとしている真っ只中に遭遇したら、私たちはどう生きていくか、いかに対処すればいいのだろうか。実のところ、150年前の幕末から明治維新の頃はまさにそんな時代だったといわれる。

年初からのNHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』はそのような激変の時代に生き抜いた渋沢栄一という人物の物語である。ドラマを観るたびに明治初期、景気を左右する新しい経済(資本主義)とは何かを知り、今日の日本産業の基幹をつくったのが渋沢だったことを知った。まったく〝すごい人物〟がいたものだと思う。そういう男がよくもまぁ現れたものだ


20211201-8-1-2

豊前・中津出身の福沢諭吉

さて実はもう一人、同じ時代に渋沢より5歳年上のこれまたすごい男がいた。だれあろう、あの一万円札の肖像画である福沢諭吉である。

この二人、共通したところはいずれも幕臣として欧米に留学した洋行帰り。西欧の経済などの仕組みを学んできた経済通でもあったこと。

明治6(1873)年6月、奇しくもこの二人はその後の日本経済に多大な影響を及ぼすことを行なっている。

まずは福沢諭吉についての話から――。この人、初めての渡米から帰国するとすぐに『西洋事情』を出版するなど、以後も多くの啓蒙書によって新たな時代に向かっていかに対応すべきかを説いた。

その一つが同年6月、西洋式簿記の本『帳合之法』の出版であった。まだ簿記とは言われなかったので帳合(ちょうあい)と呼んだ。

とりわけ西洋の商法を日本で初めてカタカナ読みの〝ビジニス〟(以下、ビジネス)として紹介したのもこの本だった。

ビジネスといえば、商売とか家業とか仕事とかいった意味だが、現代はそういう意味でなく経済のことばとして使われる。だから西欧のビジネスとは、昔の日本的な意味の商売とは異なる、別のものだというのである。

この記事は、有料会員限定です

  • 有料会員登録すると、全ての限定記事が閲覧できます。

関連記事