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紙面で振り返る2,000号 大資本や他業種に負けるな!

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第100号は昭和43年7月20日号。この時は月3回発行で、年間購読料は1,000円だった!

br />本紙は昭和38年9月20日に創刊、本号をもって2,000号を迎えることができました。これも全国のクリーニング店経営者を始めとする業界関係者の皆様のお陰と社員一同、厚く御礼申し上げます。

本紙創刊にあたって、故小山匠(こやま・たくみ)社長は「自家ドライこそ本来のクリーニング業者としてあるべき姿であり、特に技術の内容と経営のあり方を問題にして、スピード化と技術の向上で大資本や他業種の進出を阻止することができる」と指摘するとともに、「自家ドライ業者は業界の先駆者である」と社説で書きました。

時代とともに〝ドライ〟の価値や役割は大きく変わったものの、クリーニング業は無人でセルフサービスのコインランドリー等とは異なり、資本力以外でも勝負できるところに変わりはありません。ここでは、過去の節目の本紙より、当時の状況を振り返ってみたいと思います。

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本紙に勤めて20年になる記者は「1面に大きな広告は入れない」との認識でいたのだが、ずっと昔にはこんな1面も。「5万円差上げます」なんて、今でも反響がありそう!?(昭和43年の8月1日号=第101号)。

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第300号1面には展示会の記事が。その規模は出展131社、540小間とある。

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本紙が本格的にカラー化を導入したのは比較的最近の2004年7月20日号からだが、1950(昭和50)年の新年号1面は、既にカラーだった。

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47年前のクリーニング料金。

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長く続いた「全ドラ」題字は、この頃から(昭和51年12月1日号=第400号)。

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昭和59年9月には節目の500号を発行。堺屋太一氏らを講師に招き記念特別講演会も行っている。

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もちろん昔は手書きで、専用の原稿用紙も存在していた!。

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その一方で、500号から14年後の平成5年は創刊30周年+1,000号を出すが、特にイベント等はなかった模様…。

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今夏のボーナスで購入したもののトップは「衣料品」――こんな時代もありました(平成13年12月1日号=第1,300号)。

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2020年4月1日より全ドラ→ ZENDORAに。

今後共よろしくお願い致します


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